中東問題の発生から現在までの迷走と混迷の歴史をご紹介します。
中東問題は、イスラエルが再び建国された日から紛争が始まり、現在まで解決することなく続いています。まず、開国以前から大変な「紛争」というより「国際テロ」が始まったのです。「パレスチナに住みついたユダヤ人」と「パレスチナに住んでいたアラブ人」との間で争いが激化し、双方ともに武装した地下組織を編成し、ゲリラ活動が活発になっていったのです。ユダヤ人の過激派は国家建設の約束を実行しないイギリスも攻撃対象とし、イギリスのエルサレムの軍司令部を爆破、植民相モイン卿を暗殺しました。たまらずイギリスは国連に地方の権限を委譲し、決済を仰ぎました。こんな状態の中で、国連による決議で建国となったので、不満な国々がたくさんあったのです。反イスラエルの代表は旧パレスチナとアラブ諸国です。彼らはイスラエルが国連決議の領土以上に占領を進めていると訴えたのです。イスラエル側は、国連での決議を無視してアラブ諸国が攻め込んできたと主張しました。当然、双方とも譲ることはないので、ここに激しい紛争が始まり、第一次中東戦争と呼ばれています。当初、武力が不足していたイスラエルは苦戦しましたが、次第に世界中のユダヤ人が結集しはじめ互角の戦いが続くようになります。再び国連が介入し、2度目の停戦で事態は収拾に向かったのです。結局、ガザ地区、ウエスト・バンク、ゴラン高原を除く地域を、イスラエルは国土として確保することになりましたが、 聖地エルサレムがヨルダンとイスラエルで分割されてしまったのです。従って、ユダヤ教の聖地「東エルサレム」はヨルダンの領地となってしまい、ユダヤ人は聖地への巡礼ができなくなってしまったのです。この1次中東戦争までは民族的な争いと言えるのですが、以後、経済的な問題が背景となっていくのです。